『三位一体ということ』
三位一体主日・聖霊降臨後第一主日説教から

 司祭 ペテロ 浜屋憲夫

   教会歴が新しくされ、聖霊降臨後の主日が、『三位一体後』から『聖霊降臨後』に変えられても、『聖霊降臨後第一主日』には、『三位一体主日』という名前も併記されて、『三位一体』という言葉はかろうじてこの主日にのみですが教会歴に残されて、無くなることはありませんでした。この伝統的な教理を言い表す言葉を教会のカレンダーからはずすのははばかられたのでしょう。

   この『三位一体』という言葉は、初期のキリスト教会が自分自身の信仰を異教徒に対して、また教会内部に対しても明確に言い表すために造られた言葉でした。ユダヤ教から分かれたクリスチャン達が、自分たちの信仰を改めて問い直し、自覚的に言い表そうとして苦労する中で選ばれた言葉が『三位一体』という言葉でした。

   そのような初期の教会の自分たちの信仰を自覚的に言い表そうとする努力は、やはり異教の中の少数派である現代日本のクリスチャンにも当然必要とされる努力なのではないでしょうか。そんな時に先人達が残し、守り伝えて来た『三位一体』という言葉は、神学者の書物の中だけで保存されるには、あまりにももったいない言葉です。『三位一体』という言葉は、私達が私達自身の信仰を言い表す言葉として、まだまだ現役の言葉だと思います。

   「あなたは、クリスチャンだそうですが、一体何を信じているのですか。」と突然尋ねられた時、あなたはどう答えるでしょう・・・。

    「イエス様を信じています。」、「神さまを信じている。」、「聖書の神様を信じています。」、「教会の神様」、「キリストの神さま」等々、いろんな答えが想像されます。

   または、「そんなハッキリした答えなんかないんや。なにしろ神様や」というチョット乱暴な答えもあるかもしれません。しかし、この質問には、キチンとした正解があるのですね。堅信式を受けた人なら必ず勉強したはずの公会問答にこんな問答があります。

問:教会の信仰を言い表しているのは何ですか。
答:使徒信経と二ケア信経です。
問:使徒信経の主意は何ですか。 
答:
@万物を造られた父なる神 
      A万民を贖われた子なる神 
      B命の与え主、世に働き神の民を清められる聖霊なる神、この父と子と聖霊の聖なる
      三位
 一体の神を信じることです。

   私達の信仰をこのように言い表した時、私達自身が改めて、自分たちが与えられている信仰の豊かさを自覚することができます。

   全世界を造られた神さま、その造られた世界の中でどう生きるのかをご自身の生き様、死に様を通して教えられるイエス様、そしていつも私達の魂に心に働きかけて下さり、正しく神様を、またイエス様をわからせて下さり、生きる力を与えて下さる聖霊。

   この父と子と聖霊が自由に、豊かに交錯しながらダイナミックに一体となって働く世界。私達の信仰はそんな豊かな、自由な世界に私達が生かされているのだ、生きることが出来るのだという信仰であります。

   『三位一体』という言葉は、まだまだ現役の言葉であります。私達がこの伝統的な言葉によって、今も私達自身の信仰を振り返り、自覚し言い表すことが出来ます。また、この伝統的な古い革袋に、今を生きる私達が、出来たての新しい葡萄酒をいっぱいに満たすことも出来るのです。


                                            

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